第2話「遍路ころがしとお遍路用語」
トラベルライター 朝比奈千鶴さんによる、歩き遍路体験紀行を全5話に渡ってご紹介します。
歩いて習得!生きているお遍路用語
遍路ころがし、札所を打つ、一国参り、順打ち、逆打ち、お接待、結願(けちがん)などなど、歩き遍路で誰かに出会うと、予習をしていなければわからないような遍路用語がたくさん出てくる。特に、遍路宿に泊まったり、地元の人と話したりするときに用語を使う機会が多い。
遍路道を歩いて何巡目かの遍路通のおじさまの話は、わからない専門用語がぽんぽん出てくることが多い。遍路宿で夕食を食べているときなど、最初は何を言っているのかまるでわからなかった。それが徐々に耳が慣れてきたり、調べたりしているうちに、自分もいつの間にか用語を使えるようになるから面白い。もちろん、その言葉を全く知らない人の前で使うと、相手の顔はぽかんとしている。私のなかでは、ひとつ外国語を習得したような気分だ。四国には同じ土地の中に「遍路道」というひとつの外国がある。その国で通用する言葉とルールがそこに存在しているのだ。
11番札所藤井寺と12番札所焼山寺の間にある難所、遍路ころがしに挑戦したとき、お遍路さんが転がるくらい険しい坂道がこれでもかというくらい続くから女性ひとりでは危ないかもしれないと、お先達(せんだち)の有地さんが同行してくれた。有地さんは、事前にどのようなトレーニングをしておいたらよいか、山での水の飲み方、持ち物についてなど的確なアドバイスをしてくれた。8時間ほど登り下りの続く山道を歩いて辛くならないよう、さまざまなポイントで話をしたり、休憩したりして、最後まで歩かせる。優秀なガイドがいるとすんなり遍路道という国に入国できるのだなあと思った次第。先達の素晴らしいテクニックをここに見たり。
ちなみに、先達とは修験道においての道先案内人のこと。四国八十八カ所では霊場すべてを4回以上巡拝している人を公認先達と認めており、有地さんは旅行者などを案内する観光先達を職業にしている。先達のみ持つことを許されている錫杖(しゃくじょう)は、地面を突く度に、シャラン、シャランと力強い金輪の音が鳴り響く。彼の歩く前にはパッと山が開いてゴールまでまっすぐな道が続いていそうな、そんな感じだ。ここまで書いて、いつの間にか遍路用語をすらすらと使い始めていたことにはっと気づく。私もお遍路世界に足を踏み入れたんだなあと、実感した。
第12番 焼山寺「遍路ころがし」に挑戦
前日までに藤井寺で納経を済ませておけば、納経開始時間よりも早く「遍路ころがし」を歩くことができる。長い1日になりそうだったが、私は7時40分に藤井寺を出発し、16時20分に宿に到着。合計12kmの最後は、初冬に歩いただけに日も暮れかかっていた。
修験者たちが修行の場としていただけあり、ところどころ、急勾配の険しい道が続く。お遍路さんも転がる道とはよくいったものだ。ここでは、途中で逃れられる道はないので、歩くと決めたら歩ききる!という強い気持ちが大事。また、悪天候の際には歩かないという選択も必要だ。
途中、萎えそうになると、目についてくるのがいろんなところにぶら下がっている激励の札。ダイレクトな呼びかけのほか、意味深な気づきの言葉があったりと、それを目にする人の状況で受け取り方はさまざまだろうなと思ったりした。
昼食をとる予定の一本杉庵にそろそろ到着。こんなところに!?という場所に突如、弘法大師の像が表れる。焼山寺道最高地点で標高745mの場所にある。このあとも300m以上の高低差を上がったり下がったりしながら焼山寺へ。
焼山寺到着。ピースフルな空気に包まれた場所だった。開祖は役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)。修験道の開祖ともいわれている役行者小角が蔵王権現をまつり、庵を結んだのが寺の始まりとか。それだけ険しい場所にあるということ。
その昔、お遍路さんは木の「納め札」を札所の門や堂に釘で打ちつけて回ったことから、札所を参拝することを遍路用語で「打つ」という。
トラベルライター 朝比奈 千鶴
ディスティネーション(訪問先)の自然や文化を体感することで、旅人が身近なものへのつながりを実感する旅を「ホリスティックトラベル」として提案している。
これまで、国内外の「人びとの暮らし」を取材し、文章や言葉を通して“暮らしの延長線にある旅”を、Webや新聞、雑誌などに綴っており、CS旅チャンネル「ホリスティックな週末」でのナビゲーター役もつとめた。